2010年9月 3日 (金)

立山登山

 このところ文字ばかりのブログが続いているので、写真入りという意味で先週出かけた立山登山の事を書いておきます。2年前の8月初めにも同所に行っています。今年は暑さのせいか前回に比べ雪が少なかった。前回は会社勤務時でもあり、行きは徹夜で高速走行、登山、そのまま日帰りの強行軍であったが、今回は列車を使って2泊のゆっくりした旅である。前回のコースは、室堂平→一ノ越→雄山→大汝山→真砂岳→別山→新室堂乗越→室堂平だった。今回は室堂平→室堂山展望台→浄土山→雄山→大汝山→大走り→室堂平である。天気は快晴とはゆかず、尾根道からの展望はもう一つ。
 立山での宿泊所は温泉がお目当ての「みくりが池温泉」。日本一高所の温泉として売り出している。実際は白馬槍温泉の方が高いのではないかしらん。ともあれ、台湾人のカップルが登山でもないのに宿泊しているので、聞いてみたら彼の地でも星に一異番近い温泉としてテレビに取りあげられているらしい。
 平日のせいか、同室にも年配者が多い。登山をされるだけあって、いずれもお若い。70代の人も多いが、こちらより断然若く見える。

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(黒四ダムの黒部湖が見える)

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2010年8月24日 (火)

アウスピッツ=リーベン『価格理論研究』をHPにアップしました

 本文にも書いたように、この本はなかなかの稀覯書のようです。著者のことを調べている内に、ウィーンのガイドブックを引っ張り出し、この街を晩年の安井琢磨が足繁く訪れたことを思い出して、安井訳のショースキー『世紀末ウィーン』を書棚から抜いて読み出すことになりました。あらぬ方に興味が移って時間を潰しましたが、こちらの方が読書の楽しみというものでしょう。それにしても、ウィーンはこじんまりとして、歩くのに適した良い街でした。もう一度行きたい街の一つです。

2010年8月18日 (水)

司馬遼太郎対談集未収録、瀬島龍三との対談

 終戦記念日に関連しての話題である。最近枕元に持ち込む本に、昭和史に関するものが多い。最近読んだのは、保坂正康『瀬島龍三 参謀の昭和史』(文春文庫)である。この本にも出ているが、『文藝春秋』(S49年1月号)で司馬は瀬島龍三と対談している。題名は「昭和国家と太平洋戦争」、瀬島は当時伊藤忠商事副社長である。しかし、私の知る範囲ではこの対談は既刊の司馬「対談集」に収録されていない。そこで、調べ物で図書館に行ったついでに、この対談をコピーして来た。読んではみたが、対談は話が発展せず、司馬の対談を読む楽しみである、知見が拡がる様な爽快感がない。「対談集」に収録されない所以か。
 保坂の本にあるように、瀬島は戦中は大本営参謀として何十万の兵士の命に関わる作戦に関与し、戦後のシベリヤ抑留でも不可解な行動がある。しかし、それらについて何等説明がなされないまま、戦後に臨調委員として権力の中枢で力を振るった。
 司馬が瀬島について書いているのは、「かつて『文藝春秋』で、瀬島龍三さんと対談をしたことがありました(昭和四十九年一月号)。瀬島さんは、大本営参謀として大東亜戦争のプランをつくった人です。その中で、「『作戦要務令』に、兵力は分散させてはいけないと書いてありますが、あの戦争というのは、太平洋の島々に兵隊を少しずつ送って、敵が来るのを待っていただけじゃないですか」と言ったら、「先生、それはひどい、それはひどい」とおっしゃつていた。」(司馬遼太郎『この国のかたち四』1994年文藝春秋刊p.183)くらいか。この口吻からも、戦中下士官であった司馬が瀬島に批判的であったと窺われる。また、ノモンハン戦争で「元亀天正の装備」で戦わされた須見新一郎元大佐が、瀬島と会うなら司馬と絶交すると云ったとかの一文(筆者は司馬以外?)をどこかで読んだと思うが、今見つけ出せないので、記憶違いかもしれない。
 記憶違いといえば、こういう記述もある。ノモンハン「当時の参謀本部課長でのち中将になった人にも会った。この人は、さきごろ逝去された。六時間、陽気にほとんど隙間もなく喋られたが、小石ほどの実のあることも言わなかった。私は四十年来、こんなふしぎな人物に会ったことがない。私はメモ帳に一行も書かなかった。書くべきことを相手はいっさい喋らなかった。」(『この国のかたち一』p.40)と。私はこの個所を長らく瀬島の事のように記憶していたのだが、この記事を見つけ出して、記載された経歴を調べると、この人は稲田正純元中将という人物のようである。ただし、私の記憶はテレビでの同様の発言によるもので「ちょうど油紙の上に水かけたように、つるつるとはじくばかりで、聞き手の心に何も入ってこない言語が、ただ溢れているばかりでした。」(『昭和という国家』NHK出版、p.6にあり)というところのみが印象に残っていたせいであろう。いずれにしても、瀬島龍三への印象もこれと大きく変わらなかったのではないかとも思える。
 話がかわるが、司馬の対談で「対談集」に収録されていない(と思われる)対談をもう一つ知っている。歴史家の色川大吉(寺内大吉ではない)との函館戦争をめぐる教育テレビでの対談である。もう三十年以上前にもなろうか。色川はその後も司馬に批判的なようであるから、対談集に入らなかったのだろうか。対談が成功するかか否かは相手を選ぶことにあると、確か司馬自身がどこかで言っていた。

2010年8月 1日 (日)

J・S・ミル『経済学原理』をHPにアップしました

 この本のように参考文献が多いと、とこまで読むか見切りを付けるのかが難しい。文献が少ない本に比べて贅沢な悩みである。概して薄手の本の方が、エッセンスがよく整理されているように思える。今回で云えば、杉原四郎の岩波新書が面白かった。この方は、最近亡くなられたようです。確か、梅棹忠夫の自伝に同級生のように書いてあったので、お二方とも長寿だったとしてよいのではないか。
 この本の初版は常には市場に出ていないが、出れば揃いで普通25~45万円位か。もちろん、私はこんな値段では、よう買えませんが。ちなみに、同年発行の米国版初版はずっと安い。

2010年7月18日 (日)

ドブルー他のサインをHPにアップしました

 ドブルーはフランス人でアメリカ在住の数理経済学者。一般均衡理論で1983年ノーベル経済学賞受賞。この人のサイン本はほとんど見なかったが、最近、ドブルーの蔵書が処分されたのか米国の古書店で献呈本が売りに出ていた(それほどの冊数はない)。本人のサインがあるものを確認して購入。この本はデンマークの経済学者ベント・ハンセンの献呈本で、Ⅰ巻に献呈の書き込み、Ⅱ巻にドブルーのサインがあったもの。

2010年7月 7日 (水)

司馬遼太郎、折口信夫、そして丸谷才一

 昨年6月、本ブログの「司馬遼太郎」カテゴリーで、「司馬遼太郎の生家付近」のタイトルの下に、それ以前にホームページ「掲示板」に掲載していた、司馬遼太郎と折口信夫の話を再掲しました。
 その司馬と折口の話で、両者の共通点を書き、なぜ両人にこんな共通点があるのか、二人に詳しい丸谷才一さんの講釈が聞きたいと書きました。ところが、最近丸谷才一『いろんな色のインクで』(マガジンハウス)を読んでいたら、まさにご本人が同じようなことを書いて居られるではありませんか。丸谷さんのエッセイ集は面白いので、かなり読んでいるつもりですが、なにせ本は古本屋でしか買わないので、2005年発行のこの本も最近になって初めて読んだものです。
 所収の「近代と反近代」と題されたそのエッセイは、巻末を見ると、元々1999年に発表されたものである。旧掲示板は、スパムに合い、記録も消えたため(2009年12月閉鎖)、小生の元の話を何時書いたのかは、はっきり覚えていません。ただ、私がホームページを始めたのが2004年だから、こちらの記載はそれ以降である。ただし、このエッセイは読んだ記憶はない。丸谷氏は両者の類似点を3点挙げておられる。1.大阪生まれ2.幼少より図書館通い3.東アジア専門である。そして、「数へ立てれば、まだほかにも共通する所はあると思ふ。」と書かれている。小生は二人が生まれた所は同じ町内位近いという事から興味を抱いたもので、他に親の職業の一致、幼少を奈良で過ごしたことを挙げている。また、司馬が折口に触れていない点も挙げておられるが、小生も同様のことを書いている。小生もなかなか、いい線をいっているのではないか。生家がこんなに近くて、家が共に薬屋(折口の方は記憶による、未確認)なら、一世代ほど年が違うが、きっと司馬は折口を充分意識していたに相違ないと思う。

付記:旧「掲示板」は、100記事しか容量がなく、それ以上の書き込みがあると、古い記事から押し出されて消えてしまう仕組みだった(細かい規約には書かれていたとのことである)。以前から中国からのものと思われるいたずらの書き込みがしばしばあった。それまでは、気を付けて一々抹消していたのだが、本ブログを始めてからは「掲示板」をメンテナンスする機会が減り、その間にスパムによる大量の書き込みがなされて、以前の記事が消えてしまった次第である。プロバイダーに記事を復活するように何回か交渉したが、消えた物は戻せないとの返答である。ホームページを見た方からの貴重な書き込みもあったので、非常に残念である。遅まきながら、書いて頂いた方にはお詫びします。

2010年7月 2日 (金)

ローダデール『公富論』をHPにアップしました

 翻訳がないので、例によって本書を拾い読みしました。活字はゆったりと組んであるので、頁数のわりには読みやすい。スミスの批判としても良いところを突いていると思います。価値論批判の箇所は、ベイリーを思い出させます。
 ローダデール伯の蔵書からなるローダデール文庫は現在東京経済大学の図書館に入っています。ここは、また故杉山忠平教授が居られた大学のようで、杉山論文を読みたくて大学図書館に問合せたら、国会図書館でコピーできるとご教示いただいた。こちらは、なにせ素人で基礎的教養がないため、国会図書館のリストからよく見つけ出せなかったのである。検索の方法を仔細に教えて頂いた。丁寧なご教示に心より感謝する次第である。

2010年6月26日 (土)

アフタリオンとサムエルソンのサインをHPにアップしました

 サインの新規登載は、久しぶりである。今回はアフタリオンとサムエルソンのものをあげた。前者は写真では大きいが実物はかなり小さい字である。理論家の署名はなぜか小さいとの経験則とおりである。後者は、これまで所持分が、いずれも名前(Paul)だけ書かれたものなので、姓名とも書かれていることを書店に確認して買った。サムエルソンも亡くなったので、これからは、そう出回るまいと思い購入した。
 最近のサインで、取り逃がした大物はヴィクセルのもの。スエーデンの紀要類の献呈書き込みであったが、イニィシャルだけの署名であったので、もう一つ食指が動かなかったのと、直接スェーデンの書店に発注しようと思い、HPがスエーデン語で書かれているため、手間取っている間に売れてしまった。
 サイン類はまだ、登載予定分がありますので、順次上げて行きます。

2010年6月 5日 (土)

『英帝国公収入史』をHPにアップしました

 前回フック『公債論』をHPにアップしたので、同じような主題の本書を取り上げました。前回の時見られなかったハーグリーヴズ『イギリス国債史』も大阪府立図書館から借りることが出来、参考にしました。退職以降、大阪まで出るのは月一回で、ついでがないと図書館にも行けません。どうも、書くタイミングと合わずに困ることがあります。今回も参考文献が少なく、主として原書の拾い読みで書き上げたため、冗長なものとなりました。あしからず。

2010年5月30日 (日)

『資本論』第二巻の初版を入手

 大物を手に入れた。5年ぶりくらいの大当たりである。マルクス『資本論』第二巻の初版(1885年刊)である。もっとも、すでに同じ本を入手済みで、HPにも上げている。今回はさらに安価に入手できた。岩波文庫で翻訳を全巻揃えるより安かった。ネットで本の説明文を見て、リプリントではなく本物と直感して直ぐに申し込んだ。こんな時は、確認のメールを送ると、競争相手に取られるか、本屋が気付いて売り切れとされるのが毎度だから、リスク覚悟で申し込みを入れるのもいつもの通り。
 アメリカの本屋から購入したものである。幸い、送られてきたのを見れば、初版に違いなかった。Ex-libraryとされていたが、ゴム印などは押されておらず、見返しに図書館の「注意書」が貼付されているだけで、装丁はさすがにくたびれているが、テキスト部分は全く奇麗である。
 「注意書」にはこう書かれている。”Regeln für die Bibliothek der Sozialistischen Sektion S. A. P.  Milwaukee, Wis. (以下注意事項の箇条書きあり)”と。ウィスコンシン州ミルウォーキーのSAP図書館の蔵書であったようである。SAPは、多分”Sozialistischen Arbeiter Partei”のことではないかと思う、自信はないが。ミルウォーキー(そう、ミュンヘン、札幌、ミルウォーキーのミルウォーキー)は、ドイツ人住民が多いとされるから、S. A. P.の支部があったのであろうか。入手後こうして、本の由来を考えるのも楽しみである。

(写真 上:外観、中:標題紙、下:注意書--剥がそうとしたのかシミがある)

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